自分で立つということ

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気付いたら、もう週末。


反省反省反省になってしまうから、こんなブログはどうなんだとは思うけど、でも正直に言って
今週は時間をこぼしにこぼしてしまった一週間だった。
両手からボロボロとこぼれていった。
いや、自分でこぼしてしまった。
世の中の人達が必死になって時間を作ろう、時間がない、時間がほしい、と切望しているあの「時間」をまるで湯水のようにボロボロジャバジャバとこぼしてしまった。(湯水に対する節約意識の方がしっかりしていたまである)

こんなのおかしい、もっと頑張っている人がいて、みんな時間のない中やりくりして、こんなのおかしい、、、と気持ちは焦るくせに動かない頭と身体。
時間はあるくせに進まない仕事。

気分は最悪。自業自得。

「時は金なり」というけれど「時は命なり」(であってゆえに「金は命なり」)なのだ、という今のところの答えにたどり着いているわたしは「命の無駄遣い」をしている自分に罪悪感…なのに行動を変えられない罪悪感…みたいなループにがんじがらめになっていた。
変なの。
全部自分がやっていることなのに。
自分でやって自分でやらなくて、その結果なのに。
それで凹むとかほんとに変なの。

そういう自己嫌悪ループに入ってしまうともう止まらなくて、
それを止める訓練が必要だと頭ではわかっていても気持ちが止まらない。

そんな数日間だった。



今日ありがたいことに人と合って話す機会があって、
それで抜け出すことができた。
本当にありがたいことです。

「わたしは人が居ないと自分を立たせておけない弱い人間である」ということを前職ではっきりと教えてもらっていたのに、理解して居なかったな。
今、ようやっと腑に落ちた。
このブログを書いていて腑に落ちた。
理解して、自覚することができた。

その「人」が「家族」なのか「仕事仲間」なのか「お客様」なのかは人によって違うと思うけど、わたしにとっては「お客様」な気がする。
わたしはお客様のお手伝いをすることに喜びとやりがいを感じるし、
その喜びを感じさせて頂くことによって支えて頂いている。
今の私はそれで自分を立たせていられている。

「一人で立てないといけないな」とぼんやりと思っていたけれど、
それはちょっと違うのかもしれない。
"人が居なくても自分を立たせられる人”もいれば、
"人が居ることで自分を立たせられる人”もいる、というだけで、どちらがが良いも悪いもない。
自分がどういう人間なのかを知ることで初めて「じゃあ自分が立っているためにはどういう環境を整える必要があるのか?」を考えられるし、それを実現させる努力をして、自分が立っていられるように整えて、結果「自分を立たせている人」が「自立」しているといわれているのかも。

いや、どうなんだろう。

いや一人で立つべきかなあ
でも絶対に人は支え合っているもんな…

よくわからなくなってきた…。



とりあえず今日時点のはっとりは、
自分は「人が居ることで自分を立たせられている」ということに気付けただけ一歩前進しました、ということで。


はっとり


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